例会山行:南から登る南嶺シリーズP2
横浜新町から鷲尾山へ
・横浜の里山から南嶺を望む(右:宇津野山、左:鷲尾山)
2021年 9月26日(日)天候: 晴れ               参加者:2名
場所 : 南嶺 鷲尾山・宇津野山  地図は⇒こちら
行動 横浜新町8:55 → 9:10登山口 → 9:50鷲尾山→南側展望所10:05 → まき道 → 10:35宇津野山10:40
→ 11:20中の谷登山口 → 11:35谷時中の墓11:50 →   12:05播磨屋崇徳記念碑12:10 → 横浜里山 →
清和神社 → 13:00横浜新町

 
南から登る南嶺シリーズパート2として横浜新町から鷲尾山に登ってきました。
鷲尾山からは宇津野山まで縦走し、宇津野山頂上ベンチ横から真っ直ぐ横浜中の谷登山口
に下り、よこせと周辺の史跡を巡り、横浜の里山を通って横浜新町まで一周するコース、
山あり、海あり、里あり、史跡ありの変化にとんだコースでした。
 
横浜新町団地の間を西端まで進み、昔の名残を残す古い道に入りしばらく進むと登山口です。
途中には林の中にひっそりと祠が鎮座していたりして里山の雰囲気を醸しています。
 
・横浜新町から南嶺(右宇津野山左鷲尾山) ・団地西端からの道(この奥横に祠あり)
 
横浜新町団地からの登山口はいくつかありますが、団地西側の一段下がったところを
通っている車道の突き当りから登るのが本来の登山口だと思います。
ここの登山道はよく整備されていて歩きやすい道が続きます。
 
       
・団地横車道突き当りの登山口       ・歩きやすい登山道
 
気持ちの良い登山道を進み鉄塔の横を通りしばらく進むと、このコース唯一の展望所が
ありベンチなどでゆっくりしたいところです。ベンチからは浦戸湾の向こうに大平山が見
え、その向こうには太平洋が広がっています。
 
・このコース唯一の展望所      ・浦戸湾の向こうに大平山、太平洋
 
登山道の傾斜が緩くなってくると筆山からの登山道との合流点もすぐです。
合流点までくると筆山コースからの登ってきた登山客も増えてきます。
鷲尾山でお昼の予定したが予定より大分早いので記念写真を撮って先へ進みます。
 
     
・合流点手前のなだらかな登山道       ・合流点の標識
 
・鷲尾山頂上でうれしそうに記念写真を二枚
 
鷲尾山からは南側の展望所に回り、まき道を通り宇津野山方面へ、適度なアップダウン
をいくつか過ぎ宇津野山頂上に到着、このコースは平日などめったに人に会わないのです
が日曜日の今日は何組かの登山客とすれ違いました。
 
     

・宇津野山頂上            ・頂上ベンチ横からの下山口

宇津野山頂上からはベンチ横の下山口を横浜中の谷登山口へ真っ直ぐ下りて行きます。
この下山口は今年の春に木を伐り、草を刈り整備したのですがもう少し草が生えてきてい
ます。でも登山道に入ってしまうとそれなりの道になってきます。(ここも春に整備しま
した)それなりに下っていき鉄塔をくぐり、手作りベンチの展望所を過ぎ少し行くと安ヶ
谷との分岐になります。ここは真っ直ぐ安ヶ谷方面に行ってしまいそうなので注意が
必要です。すぐに倒木があるのでそこで引き返してください。(中の谷登山口は右へ)
 
     
・下山口から少し行った辺り    ・安ヶ谷分岐(中の谷登山口は右へ)
 

安ヶ谷分岐から先は何ヶ所かの分岐があったり、落ち葉が積もって歩きにくい箇所があっ
たりしますが、竹藪が現れ、お墓などが出てくると良く整備された里山風になってきます。

 
・中の谷登山口あたりの白い彼岸花(この辺りは白の彼岸花が多いです)
 
登山口から中の谷の集落を通り横浜交差点へ、県道を渡り旧道に入ると直ぐ「谷時中の
墓」の看板が津波避難路の標識とともに現れます。年季の入った石柱の横の階段を登ると
(結構登りがいがあります)立派な神社が現れます。石碑や狛犬なども新しくそれなりの
手入れがされているようです。
 谷時中と言ってもみなさんご存じないと思いますが?野中兼山あたりの先生筋にあたる
人で瀬戸周辺を干拓した功績もあり、後で出てくる播磨屋崇徳にその土地を買ってもらい
そのお金で教育関係にかかわった功績などもあるらしいです。
 
        

・「谷時中の墓」の看板      ・年季の入った石柱と階段
 

・「谷時中の墓」となっている立派な神社(清川神社)
 
旧道に戻り次の史跡に向かいます。この辺りは昔の「瀬戸」と呼ばれたところですぐ横
に小さいですが立派な漁港があります。漁港を覗きながら今「瀬戸」と呼ばれている瀬戸
団地方面に進みます。小学生の通学路を少し登ると二番目の史跡「播磨屋崇徳の碑」が現
れます。(横浜小学校のすぐ西横です) 
播磨屋崇徳はご存じ播磨屋橋の人で長宗我部元親のころ播磨の国飾磨から土佐に
呼ばれ土佐の国のために尽くした方です。長曾我部のころには浦戸にお城があったためか
瀬戸辺りにもかかわりがあったものと思われます。
 
  
・瀬戸の漁港 
 

・漁港の横、アスファルトの隙間に咲く可愛い花    ・「播磨屋崇徳の碑」
  

横浜の方に少し戻り津波避難路を兼ねた階段から横浜の里山に入ります。このあたりの
道も手入れができずに藪状態になってきているところもあります。この道は途中南嶺の
眺めがいい箇所などもあり散歩にはおすすめのコースです。途中から車道に出て横浜新町
の公園に向かいますが行きかう車はほとんどなく歩くのにはもってこいです。
 

       

・ちょっと急な階段から里山へ  ・階段を過ぎると歩きやすい道
 

・里山に咲く赤と白の彼岸花         ・里山からの南嶺
 
横浜新町の公園を抜け最後の史跡に寄ります。「清和神社」と言うらしく団地の南端に
鎮座しています。先ほど出てきた播磨屋崇徳の先祖神を祭る神社らしく、清和源氏の関係
か?清和神社となっていると思われます。
 
・立派な「清和神社」              ・神社の由来説明
  
・「いこいとふれあいの道」
 
「清和神社」から北へ、よく手入れされた「いこいとふれあいの道」を通りスタート地点
へ到着、短いコースでしたが変化にとんだ楽しいコースだったと思います。
興味を持たれた方はこの機会にぜひ一度歩いてみられることをお勧めします。
南から登る南嶺シリーズ」、これからも続きます。お楽しみに!! お疲れさまでした



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